山口県岩国市に鎮座する岩國白蛇神社をご存知でしょうか。白蛇神社 岩国と検索する方の多くは、天然記念物に指定されている岩国のシロヘビと神社の関係や、その歴史的な背景を知りたいと思っているのではないでしょうか。この神社は平成24(2012)年に創建された比較的新しい社ですが、白蛇をめぐる信仰と保護の歴史は江戸時代中期の古文書にまで遡り、300年以上の厚みを持っています。錦帯橋からも近い今津の地で、なぜアオダイショウのアルビノ個体群がこれほど大切に守られてきたのか。吉川家の米倉、弁財天との習合、そして厳島神社から御神霊を迎えた鎮座祭まで、この記事では岩國白蛇神社の全体像を文化的・歴史的な視点から丁寧に解説します。
・岩國白蛇神社は2012年創建の新しい神社だが、白蛇信仰の記録は1738年の古文書『岩邑年代記』にまで遡る
・御祭神は厳島神社から勧請した宗像三女神と宇迦之御魂神の四柱
・岩国のシロヘビはアオダイショウのアルビノが遺伝的に定着した世界的にも珍しい事例で、天然記念物に指定されている
・境内ではシロヘビをモチーフにした造形物が随所に見られ、隣接の白蛇資料館では本物のシロヘビを観覧できる
白蛇神社岩国の創建と御祭神・境内の特徴
岩國白蛇神社がどのような経緯で創建され、どのような神様が祀られているのかを整理します。地域住民の長年にわたる取り組みと、厳島神社との深いつながりを中心に見ていきましょう。

岩国って錦帯橋が有名だけど、白蛇を祀った神社があるって知ってましたか?

ええ、岩國白蛇神社ですね。地域の方々が長年かけて守り続けてきた、地元に根ざした神社なんですよ。

厳島神社ともつながりがあるって聞いて、ちょっと驚きました。

そうなんです。そのあたりの経緯も含めて、どんな神様が祀られているのか、一緒に見ていきましょう。
厳島神社から勧請された四柱の御祭神
昭和30年設立の白蛇保存会と地域の保護活動
吉川家の檜材を用いた社殿の建築的特徴
境内に散りばめられたシロヘビのモチーフと見どころ
白蛇資料館と月次祭・授与品の案内
平成24年鎮座祭と創建に至るまでの経緯
岩國白蛇神社が正式に創建されたのは、平成24(2012)年12月16日のことです。この日、鎮座祭が厳かに斎行され、神社としての歴史がはじまりました。しかし、この創建はある日突然実現したものではありません。地域の人々が長年にわたって積み重ねてきた白蛇への保護と敬意が、半世紀以上の時を経てようやく結実したものです。
岩国のシロヘビは、江戸時代の古文書にもその姿が記録されているほど古い歴史を持ち、地元の人々からは「神様の使い」として大切にされてきました。こうした白蛇への信仰と保護の気運を組織的に高めようと、昭和30(1955)年には白蛇保存会が設立されています。その後も白蛇を神として祀る場所を設けたいという声は地域に根づいており、今津の住民をはじめ多くの岩国市民にとって神社の創建は長年の悲願でした。
鎮座祭にあたっては、世界遺産にも指定されている厳島神社(広島県廿日市市宮島町)から御神霊を船でお迎えするという形式がとられました。宮島という海を隔てた地から御神霊を丁寧に勧請するこの手続きは、神社創建の儀式としては格式の高いものであり、地域の人々がいかに真摯にこの神社の設立に取り組んできたかが伝わります。
昭和30年の保存会設立から数えると、創建まで実に57年という歳月が流れていました。白蛇という天然記念物を守り続けながら、その信仰の場を整えることへの地域の熱意が、現在の岩國白蛇神社という形に結びついています。
厳島神社から勧請された四柱の御祭神
岩國白蛇神社の御祭神は、厳島神社から勧請された四柱の神様です。そのうち三柱は「宗像三女神」と呼ばれる神々で、田心姫神(たごりひめのかみ)・湍津姫神(たぎつひめのかみ)・市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)がその名です。残る一柱は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)です。
宗像三女神は『日本書紀』や『古事記』にも登場する古い神々で、玄界灘に浮かぶ沖ノ島・中津宮・辺津宮にそれぞれ祀られていたことに由来します。古くは航海や交通の守護として信仰を集めてきた神々であり、厳島神社における祭祀の中核をなす存在です。岩国と瀬戸内海をつなぐ地理的なつながりを考えると、宗像三女神を勧請するという選択には自然な文脈が感じられます。
四柱目の宇迦之御魂神は、稲の霊を神格化した存在として『古事記』に記されており、五穀豊穣や食物全般を司る神として各地の稲荷社でも広く祀られています。岩国における白蛇信仰は、もともと藩の米倉でネズミを捕る白蛇が農業を支える存在として大切にされてきた歴史と深く結びついており、稲や食物の神である宇迦之御魂神が御祭神に加わっていることは、その信仰の背景と自然に重なります。
厳島神社という著名な神社から御神霊を迎えたことで、岩國白蛇神社は地域の民間信仰にとどまらない、正式な神社としての格式を備えることになりました。四柱の御祭神それぞれが異なる由来と役割を持ちながら、岩国の白蛇信仰という一つの文化的土台の上に並び立っている点が、この神社のユニークな性格をよく表しています。
昭和30年設立の白蛇保存会と地域の保護活動
岩国のシロヘビを組織的に守る取り組みの出発点となったのが、昭和30(1955)年に設立された白蛇保存会です。それ以前から地域の人々は白蛇を「神様の使い」として個々に大切にしてきましたが、保存会の設立によって保護活動が組織的・継続的なものへと発展していきました。
保存会が担ってきた役割は、単に白蛇の個体を守ることにとどまりません。アオダイショウのアルビノ個体が代を超えて白化を受け継ぐという非常にまれな自然現象を維持するためには、生息環境の保全や個体数の把握、地域住民への啓発活動など、長期にわたる地道な努力が必要です。保存会はこうした活動を半世紀以上にわたって担い続けました。
こうした積み重ねを背景に、神社の隣接地には白蛇資料館が設けられ、実際に生きたシロヘビを見学できる施設として多くの参拝者や観光客を迎えています。書籍や写真でしか伝わりにくい白蛇の神秘を直接目にできる場として、地域の保護活動と文化発信の両面を担う存在となっています。
保存会の設立から半世紀以上が経過した平成24(2012)年、岩國白蛇神社の創建という形でその活動は新たな節目を迎えました。長年にわたって地域が育んできた白蛇への敬意と保護の精神が、神社という形として結実したといえます。なお、岩国のシロヘビは大正13(1924)年に天然記念物の指定を受けており、その後昭和47(1972)年に「岩国のシロヘビ」として指定替えされた、国が認める貴重な自然遺産でもあります。
吉川家の檜材を用いた社殿の建築的特徴
岩國白蛇神社の社殿には、岩国の歴史と深く結びついた素材が用いられています。社殿の建築木材には、吉川家ゆかりの檜(ひのき)材が使用されており、建物そのものが岩国の歴史的背景を体現する存在となっています。
吉川家は、関ヶ原の戦いの後に岩国へ移封された吉川広家公を祖とする一族です。広家公は錦見一帯での米作りを推進し、その米倉でアオダイショウが繁殖したことが岩国のシロヘビの起源に関わるとも伝えられています。つまり、白蛇の歴史とゆかりの深い吉川家の檜材が社殿に用いられているという事実は、単なる建材の選択を超えた意味を持っています。
境内の装飾面でも、白蛇信仰を色濃く反映した意匠が随所に見られます。手水舎や釣燈籠にはシロヘビをモチーフとした造形が施されており、参拝者は境内を歩きながら各所に配された白蛇の意匠を発見できるようになっています。こうした装飾は、参拝者が白蛇との関わりを感じながら境内を巡ることを意識した設えといえるでしょう。
平成24年の創建という比較的新しい神社でありながら、吉川家由来の木材を用いることで、約400年にわたる岩国と白蛇の歴史的なつながりが社殿という形に込められています。建築と歴史が重なり合う点も、岩國白蛇神社が持つ特徴のひとつです。
境内に散りばめられたシロヘビのモチーフと見どころ

岩國白蛇神社の境内では、参拝しながらシロヘビのモチーフを探し歩く楽しさがあります。手水舎や釣燈籠などの設備にシロヘビがデザインとして取り入れられており、社殿周辺の各所にリアルな造形のシロヘビが配置されています。どこに潜んでいるかはすぐにはわからないものも多く、境内をゆっくりと歩き回りながら「発見」していく体験ができる点が、他の神社にはなかなかない個性です。
もともと岩国のシロヘビは、今津川沿いの米倉でネズミを退治する存在として地域に根づき、「米をネズミの害から守る神様の使い」として古くから大切にされてきました。境内のモチーフは、こうした白蛇信仰の長い歴史を参拝者が肌で感じられるよう、意図的に随所に散りばめられています。神社参拝の「かたち」としてだけでなく、岩国という土地と白蛇の深い関係を体感できる空間として設計されているといえるでしょう。
なお、社殿の建築には吉川家ゆかりの檜材が用いられており、岩国の歴史と白蛇への敬意が素材の面からも反映されています。初めて訪れる方は、まず社殿全体を眺めてから境内を一周し、各所に据えられたシロヘビの造形を一つひとつ確認していくと、境内の見どころを効率よく巡ることができます。
白蛇資料館と月次祭・授与品の案内
神社に隣接する白蛇資料館は、岩国のシロヘビについての理解をより深めたい方にとって欠かせない施設です。館内では実際に生きたシロヘビを見ることができ、アオダイショウのアルビノ個体が個体群として維持されるという世界的にも珍しい自然現象を、目の前で確認できます。大正13(1924)年に天然記念物に指定され、昭和47(1972)年に「岩国のシロヘビ」として指定替えされた経緯についての解説も設けられており、信仰の歴史と自然科学の両面から白蛇を知ることのできる内容になっています。
祭事については、毎月、月次祭が執り行われています。地域の氏子や信仰者が集まり、神前で祝詞が奏上されるこの祭りは、創建以来の祭祀の営みを現在に引き継ぐものです。参拝のタイミングを月次祭に合わせることで、通常の参拝とは異なる雰囲気の境内を体験することができます。
授与品としては、シロヘビにちなんだお守りや絵馬が用意されています。岩国のシロヘビが「福徳の神様の使い」として古くから伝えられてきた背景を持つことから、授与品のデザインにもシロヘビのモチーフが用いられており、この神社ならではの品として参拝の記念になります。訪問前に開館・授与所の対応時間を公式情報で確認しておくと、スムーズに参拝できるでしょう。
藩の米倉から民間の手へ——明治期に白蛇を守り続けた酒屋「八百新」の記録
白蛇の生息を語るとき、江戸時代の藩政と昭和の保護活動のあいだに、ひとつの忘れられがちな時代がある。明治維新から大正期にかけて、白蛇を守り抜いたのは行政でも神社でもなく、一軒の民間の酒屋だった。
文久2年(1862)の地誌『錦川志』には、今津川に架かる寿橋一帯の岩国藩の米倉に2頭のシロヘビが棲みつき、よく見かけるとある。ところが明治4年(1871)の廃藩置県によって藩の米倉は民間へと払い下げられた。
この米倉を引き継いだのは「八百新」という酒屋で、店主はシロヘビを大切に保護したと伝えられている。
藩という後ろ盾を失ってなお、白蛇が今津の地で生き続けられたのは、こうした無名の民間人による地道な庇護があったからにほかならない。
その後、
明治30年(1897)頃には今津・川下・麻里府・室の木の各地区等、合わせて400ヘクタールの地域に棲んでいる
ほどに生息域を広げていた。行政による天然記念物の指定が大正13年(1924)であることを考えると、その数十年前からすでに白蛇が広範に定着していたことになる。八百新の店主が米倉ごと白蛇の棲み処を守り続けた判断は、結果として後世の保護活動の礎を築いた。
白蛇の歴史は、権力者や公的機関の記録だけでなく、名も残らぬ商人たちの日々の営みの上に積み重なっている。岩國白蛇神社の境内に立ったとき、その深みをあらためて思わずにはいられない。
白蛇神社岩国が伝える300年以上の白蛇信仰の歴史
岩国でシロヘビが信仰の対象となった背景には、複数の古文書に記録された長い歴史があります。吉川家との関わりや弁財天との習合など、白蛇信仰が形成されてきた過程をひもといていきます。

岩國白蛇神社って、創建されたのが平成24年なんですよね。わりと最近に感じるけど、そこに至るまでの歴史がすごく長くて。

そうなんです。昭和30年に白蛇保存会ができてから数えると、実に57年かけてようやく神社という形になったわけですから。

しかも御神霊を厳島神社から船でお迎えするという、格式ある手順を踏んでいるんですよね。地域の方々の並々ならない思いが伝わってきます。

白蛇をただ珍しいものとして見るのではなく、何百年も前から「神様の使い」として大切にしてきた積み重ねがあってこそ、ですよね。
吉川広家の移封と米倉で生まれたアルビノの起源説
『享保増補村記』に登場する白蛇「梅雨左衛門」の伝承
天然記念物指定から「岩国のシロヘビ」への指定替えの経緯
弁財天との習合と今津地区に広まった白蛇堂の成立
アオダイショウのアルビノ個体群が持つ学術的な希少性
岩国の白蛇神社と白蛇信仰に関するよくある質問Q&A
『岩邑年代記』に記された白蛇最古の記録
岩国のシロヘビが歴史上の文献に初めて姿を現すのは、江戸時代中期の元文3年(1738)に編まれた古文書『岩邑年代記』です。この記録によれば、大洪水が岩国を襲い、その水が引いた後、横山にあった千石原御門の近くで一匹のヘビが捕獲されたとあります。体の色が白く、尾が打ち切られた状態であり、漢方薬として利用されたと記述されています。
この記述が示すのは、18世紀前半の時点ですでに白いヘビが岩国の地に存在していたという事実です。当時の人々がシロヘビをどのような目で見ていたかは、この一文だけからは読み取りにくい部分もありますが、大洪水という非常事態のなかで捕獲・記録されたという点に、白蛇の存在がすでに人々の関心を引くものであったことがうかがえます。
また、享保年間(1716〜1735)に編集された『享保増補村記』にも白蛇の記述が見られ、岸根村(現・美和町)や六呂師村(現・岩国市)に生息するシロヘビが「梅雨左衛門(つゆざえもん)」と名付けられていたことが記されています。雨の日に石の上でよく姿を見かけたことが名前の由来とされており、白蛇が単なる珍しい生き物としてではなく、親しみを込めて地域に受け入れられていたことが伝わってきます。さらに幕末の文久2年(1862)の『錦川志』には、錦川下流の今津川に架かる寿橋一帯の米倉にシロヘビが2頭棲みついていたという記述が残されており、このころから今津地区での繁殖が本格化したと考えられています。
複数の古文書にまたがってシロヘビの記録が残されていることは、岩国における白蛇信仰が特定の人物や出来事に依拠するものではなく、長い年月をかけて地域の暮らしの中に根づいてきたものであることを示しています。
吉川広家の移封と米倉で生まれたアルビノの起源説

岩国のシロヘビがなぜこの地に根づいたのか、その起源については諸説ありますが、有力な説のひとつが関ヶ原の戦い後に岩国へ移封された吉川広家公の時代にさかのぼる経緯です。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いののち、吉川広家は岩国領主となり、錦見一帯を中心とした米作りを推進しました。大量の米を保管するために設けられた米倉には、必然的にネズミが集まり、そのネズミを餌とするアオダイショウもまた引き寄せられるようになりました。
アオダイショウはもともと緑がかった灰褐色をした蛇ですが、ごくまれにメラニン色素を欠くアルビノ個体が生まれることがあります。通常、アルビノは自然界では目立ちすぎるため天敵に見つかりやすく、個体群として維持されることは極めてまれです。しかし、米倉という外敵から守られた環境の中では生き延びやすく、世代を重ねるうちに白化の遺伝が受け継がれていったと考えられています。
爬虫類のアルビノが自然状態で個体群として維持されることは世界的にも非常に珍しく、岩国のシロヘビが国の天然記念物に指定されている理由のひとつもここにあります。元々は大正13年(1924)に「白ヘビ生息地」として指定され、その後昭和47年(1972)に「岩国のシロヘビ」へと指定替えされています。
吉川家の米倉という人の営みが生み出した偶然の環境が、300年以上にわたって続く白蛇生息の下地をつくったという見方は、信仰の歴史を理解するうえで興味深い視点を与えてくれます。米をネズミの害から守る存在として人々に大切にされてきた白蛇の姿には、こうした土地の歴史が重なっています。
『享保増補村記』に登場する白蛇「梅雨左衛門」の伝承
江戸時代中期に編集された『享保増補村記』には、岩国のシロヘビに関する興味深い記述が残されています。享保年間(1716〜1735年)にまとめられたこの記録には、岸根村(現・美和町)や六呂師村(現・岩国市)にシロヘビが生息していたことが記されており、そのヘビには「梅雨左衛門(つゆざえもん)」という名前が付けられていました。
この名前の由来が、また味わい深いものです。雨の降る日になると、シロヘビが石の上でよく姿を見せたことから「梅雨左衛門」と呼ばれるようになったと伝えられています。梅雨の雨と白蛇の姿が重なって生まれた名前には、当時の人々がシロヘビを日常の風景の中に溶け込んだ存在として親しんでいたことがうかがえます。天敵に狙われやすいアルビノの個体が野外で人目に触れるほど各地に存在していたという事実は、岩国の地がシロヘビにとって長く安定した生息環境であったことを示しています。
また、前述の『岩邑年代記』(元文3年・1738年)の記録と時代が重なる点も注目されます。ほぼ同時期の複数の史料にシロヘビへの言及があることは、18世紀前半の段階ですでにシロヘビが岩国の各地で比較的知られた存在であったことを裏付けるものといえるでしょう。「梅雨左衛門」という固有の名前が与えられていた事実は、当時の人々がシロヘビを単なる珍しい生き物としてではなく、土地に根ざした特別な存在として認識していたことを物語っています。
天然記念物指定から「岩国のシロヘビ」への指定替えの経緯
岩国のシロヘビが国から正式に保護の対象として認められたのは、大正13年(1924)12月のことです。このとき指定されたのはシロヘビそのものではなく、岩国市を縦走する錦川をはさんだ今津・麻里布地区と川下地区が「白ヘビ生息地」として天然記念物に指定されました。つまり、生き物ではなく「場所」が保護の対象だったのです。
その後、昭和47年(1972)8月に指定内容が「岩国のシロヘビ」へと指定替えされました。この変更は単なる名称の整理ではありません。保護の対象を「生息地」から「シロヘビという生物そのもの」へと切り替えた、考え方の転換を意味しています。
この指定替えの背景には、岩国のシロヘビがいかに稀有な存在であるかという科学的な認識の深まりがあります。シロヘビの正体はアオダイショウのアルビノ(色素を作る機能が失われた個体)ですが、通常アルビノは個体群として自然下で維持されることが非常に難しく、爬虫類においては特にまれとされています。岩国では、この白化の特性が遺伝によって世代を超えて受け継がれており、一定の個体群として存続してきた点が学術的にも高く評価されています。
生息地指定から生物指定へ。約50年をへだてたこの変化は、地元の人々による長年の保護と、白蛇保存会(昭和30年設立)による組織的な取り組みが積み重なった結果でもあります。
弁財天との習合と今津地区に広まった白蛇堂の成立

岩国のシロヘビ信仰が単なる「珍しい動物への親しみ」にとどまらず、宗教的な信仰として形を持つようになった背景には、弁財天との習合という重要な流れがあります。弁財天はもともとインドの水の神・サラスヴァティーを起源とし、日本では水辺の守護神として定着した神格です。蛇は古来より水神の使いとして各地で信仰されており、今津川のほとりに棲みついた白蛇が「川の神様の使い」として見なされていったのは、こうした信仰の文脈のなかでごく自然な展開といえます。
今津地区の人々は、白蛇を「米をネズミの害から守る神様の使い」あるいは「今津川の川の神様の使い」として大切にしてきたと伝えられています。幕末の文久2年(1862)に書かれた『錦川志』には、今津川に架かる寿橋一帯にあった岩国藩の米倉に2頭のシロヘビが棲みついていたという記述があり、この頃にはすでに今津地区が白蛇ゆかりの地として根づいていたことがわかります。
こうした水神・農業神としての性格を帯びた白蛇への信仰が、やがて弁財天と結びつくことで、岩国市内の各地に白蛇堂や祠が建立されていったとされています。弁財天は財や福徳とも結びつく神格であるため、白蛇を「家の守り神」「幸運を呼ぶ存在」として祀る民間信仰とも相性が良く、今津地区を中心とした白蛇堂の広がりを下支えしたと考えられています。岩國白蛇神社の御祭神が厳島神社の宗像三女神と宇迦之御魂神であることも、こうした水神・福徳神との習合という長い信仰の流れを引き継いだものといえるでしょう。
アオダイショウのアルビノ個体群が持つ学術的な希少性
岩国のシロヘビは、アオダイショウが突然変異によって白化したアルビノ個体です。アルビノとは、体内でメラニン色素を生成できない遺伝的変異を持つ個体のことで、鱗が白く、目が赤みを帯びた外見が特徴です。自然界ではアルビノ個体は非常に目立つため天敵に狙われやすく、通常は次の世代に遺伝子を残しにくいとされています。
岩国のシロヘビが学術的に極めて珍しいとされる最大の理由は、このアルビノの形質が遺伝によって世代を超えて受け継がれ、一定の個体群として自然下で維持されている点にあります。爬虫類においてアルビノが個体群レベルで定着した例は世界的にも非常にまれであり、その意味で岩国のシロヘビは生物学的に注目すべき存在です。
この背景には、岩国特有の環境があったと考えられています。約400年前、関ヶ原の戦い後に岩国へ移封された吉川広家公が錦見一帯で米作りを推進した結果、米を狙うネズミが増え、それを捕食するアオダイショウが米倉に集まるようになりました。外敵の少ない米倉という閉じた環境のなかで、突然変異によって生まれたアルビノ個体が淘汰されずに繁殖を続けたことが、個体群の定着につながったと推測されています。
こうした希少性が評価され、大正13年(1924)には「白ヘビ生息地」として天然記念物に指定され、昭和47年(1972)には「岩国のシロヘビ」へと指定替えされています。遺伝的に安定したアルビノ個体群の記録として、現在も学術的な関心を集め続けています。
岩国の白蛇神社と白蛇信仰に関するよくある質問Q&A
岩國白蛇神社と岩国のシロヘビ信仰について、よく寄せられる疑問をまとめました。
Q:岩國白蛇神社はいつ創建されたのですか。
A:平成24(2012)年12月16日に鎮座祭が斎行され、正式に創建されました。厳島神社(広島県廿日市市宮島町)より御神霊を船で迎えたと伝えられています。
Q:御祭神はどのような神様ですか。
A:宗像三女神である田心姫神・湍津姫神・市杵島姫神と、宇迦之御魂神の四柱が祀られています。宗像三女神は交通安全や海上守護、宇迦之御魂神は五穀豊穣や福徳の神として広く知られています。
Q:岩国のシロヘビは本当に天然記念物なのですか。
A:はい。もともと大正13年(1924)12月に「白ヘビ生息地」として天然記念物に指定され、昭和47年(1972)8月に「岩国のシロヘビ」へと指定替えされました。アオダイショウのアルビノ個体群が自然下で世代を超えて維持されることは爬虫類では特に珍しく、学術的にも注目されています。
Q:岩国のシロヘビに関する最も古い記録はいつのものですか。
A:現在確認されている最古の文献記録は、江戸時代中期・元文3年(1738)に編まれた『岩邑年代記』です。大洪水の後に横山の千石原御門付近で白いヘビが捕獲されたと記されています。
Q:白蛇保存会はいつ設立されたのですか。
A:昭和30(1955)年に設立されました。それ以前から地域の人々が個々に白蛇を大切にしてきた歴史があり、保存会の設立によって保護活動が組織的・継続的なものへと発展しました。
Q:境内で本物のシロヘビを見ることはできますか。
A:神社に隣接する白蛇資料館で、実際のシロヘビを見ることができます。境内の手水舎や釣燈籠などにもシロヘビのモチーフが施されており、境内各所でリアルな造形のシロヘビを探しながら参拝できます。
Q:岩國白蛇神社へのアクセスはどうすればよいですか。
A:山口県岩国市今津六丁目に鎮座しています。JR岩国駅から車で約5分、錦帯橋から車で約10分が目安です。
岩国白蛇神社の歴史と見どころのまとめ
- 岩國白蛇神社は平成24(2012)年12月16日に鎮座祭を斎行して創建された比較的新しい神社
- 創建の背景には、昭和30(1955)年設立の白蛇保存会による半世紀以上の保護活動がある
- 御祭神は厳島神社から勧請した宗像三女神と宇迦之御魂神の四柱
- 岩国のシロヘビに関する最古の文献記録は元文3年(1738)の『岩邑年代記』
- 享保年間(1716〜1735)の『享保増補村記』には「梅雨左衛門」という名の白蛇が登場する
- 幕末・文久2年(1862)の『錦川志』には今津川沿いの米倉に白蛇が棲みついた記録がある
- シロヘビの起源は関ヶ原の戦い後に吉川広家が推進した米作りと、米倉に棲むアオダイショウのアルビノ突然変異と考えられている
- 岩国のシロヘビは大正13年(1924)に天然記念物指定、昭和47年(1972)に「岩国のシロヘビ」へ指定替え
- アオダイショウのアルビノ個体群が自然下で維持されることは爬虫類では特に珍しく学術的価値が高い
- 白蛇は今津川の川の神の使い・米倉をネズミから守る存在として弁財天信仰と習合し、地域各所に白蛇堂が建てられた
- 社殿には吉川家ゆかりの檜材が使われており、地域の歴史的な結びつきが建築にも反映されている
- 手水舎・釣燈籠などにシロヘビのモチーフが施され、境内各所にリアルな白蛇の造形が配置されている
- 隣接する白蛇資料館では実際のシロヘビを観察できる
- 所在地は山口県岩国市今津六丁目、JR岩国駅から車で約5分
- 信仰の積み重ねと自然保護、地域の歴史が一体となったユニークな神社として知られている
参考:岩國白蛇神社 公式サイト
